Quantcast
Channel: 廃墟WonderAround
Viewing all 99 articles
Browse latest View live

廃車体が積まれた廃工場

$
0
0

廃車体が積まれた廃工場


岡山県にあった小規模な廃工場です。タイトル通り、入り口付近には廃車が山積みにされています。

元々ここが出入り口だったようですが廃車体が山積みになっていて行く手を阻んでいました。

裏に回ります。

屋根は吹き飛び、骨組みのみになっていました。このまま中へ入れそうです。

内部。中々素敵です。

ただ、地面はタイヤなどの不法投棄がすさまじいですが。

機材などはほとんど残っていませんが工場としての面影が十分に残っています。

結構朽ちています。

何の機械かは知り得ませんが、とにかくカッコいい。

何をする工場だったのでしょう。

何かのプラントだったように思えますが・・・。

でかい。

重厚感があります。積んである車はウォークリフトか何かで置いたのでしょうか。

オイルなどを補充するプラスチック製のトレーですが、中途半端に分解されて凄い状態になっていました。

こうして見ると、トラックに土砂か何かを積むためのプラントに見えます。

今回は縦写真が多めです。

少しだけ登ってみます。

高い所は苦手です。ヒイ。

先ほどの歯車が下に見えます。

天井が少し近くなりました。

シルエットが美しい。

この雰囲気好きです。

これで大体どれくらいの次期の建造物か分かる方がいるから凄いですねぇ。

そろそろ帰ります。

夏はいい感じに緑に包まれているんでしょうね。

↓いつもクリックありがとうございます。廃墟サイトランキングに参加中。みなさんのクリックで当サイトの順位が決まります↓
にほんブログ村 写真ブログ 廃墟・廃屋写真へ

にほんブログ村



カラオケホールEM

$
0
0

    カラオケホールEM

以前から気になっていた建物。通ったら以前より荒れていたのでまさかと思いましたがこの度あっさり探索できました。

カラオケ屋もやっていたようですが、レストランや喫茶店もやっていたようで、建物は小柄ですが色々楽しめたようです。



まずはレストラン部分から。

厨房です。

この厨房は喫茶店、そしてカラオケホール部分も共用だったようです。

次は喫茶店部分です。

喫茶スペースも広いとは言い難いですが・・・。

ポスターが貼られていました。

レジカウンターです。

続いてカラオケホール。かなり暗いです。

スターをめざしてのキャッチフレーズ。

これはここで行われていたカラオケ教室のキャッチコピーでしょう。実際にここからステーへ羽ばたいていっ人はいるのでしょうか?

ラウンジのような空間。

ただ、レストラン部分も喫茶店部分も全て繋がっているのでゆっくり食事が摂れなさそうなんですが・・・。

イラストが時代を感じさせます。

次は2階へ上がります。

2階は事務所のような部屋となっていました。

休憩室と呼ばれる部屋。向こう側は外階段から繋がる廊下部分という謎建築。

この部屋も同じ様な部屋です。それにしても暗い。

風呂場がありました。

台所。

本来ならここがリビング食事室となるのですが、この建物の場合何に使用されていたのかは分かりません。

最後に、2階へ上がる際の階段の照明。

それでは、そろそろ帰ります。

↓いつもクリックありがとうございます。廃墟サイトランキングに参加中。みなさんのクリックで当サイトの順位が決まります↓
にほんブログ村 写真ブログ 廃墟・廃屋写真へ

にほんブログ村

ビジネスホテルの地下世界

$
0
0

 ビジネスホテルの地下世界


暗闇に浮かぶビジネスホテルの廃墟。なかなか新しい建物で、廃業したのも最近ではないかと思われます。


ビジネスホテル部分は当然荒廃。自動扉は少し開き、ここから潜入できるようで内部は消火器などが撒き散らされていました。しかし自分は少し横にも大きいため潜入できず(涙)


非常階段のほうにも回りましたが鉄製の非常階段は韓国海苔のように朽ちていた為潜入できず・・・・。結構物が残っていそうなので楽しそうだったのですが潔く諦めかけていました。


帰ろうとしていた間際に、なんと謎の地下通路を発見。

なんと、ビジネスホテルの地下は複数のテナントが入る雑居スペースとなっていたのでした。

窓もない雑居スペース。そんなところに店舗を構えても流行るはずが無いと思うのですが・・・。

なんとこちらは洋品店。とはいってもウェディングドレスなどの仕立て、納品を行ったりする特殊な会社のようでした。
 

置き去りにされていた旧型テレビ。ダイヤル式のもので、相当古そうです。こういうの集めている友人が欲しがりそうです。

 
 次のテナントへいきます。N商事(仮名)と書かれたこのテナントは物置として使用されていました。恐らくビジネスホテルで使用されていた物が置かれているのだと思います。
 
 廊下。

 
 この部屋は何とも不思議な部屋なんですが、ビジネスホテルのオーナーの住み込みの部屋となっていたようです。元々飲食スペースとなっていたところを改造して使用されていました。ほとんど従業員の遊戯スペースとなっていた模様です。

 
 カウンターも残っています。
 
 
夜はバーになっていたのかもなどと妄想していました。


カウンター内部。


 

 
残る生活感。
  
冷蔵庫などもかなり古いものが使用されています。


 
 壁紙の柄のセンスがなかなか・・・・・

 
 
暇があれば麻雀に没頭していたようです。
不気味に残る飲料。

ここでかつて提供されていた寿司は結構お高めの値段設定でした。

壁には絵画がそのまま残っていました。

居住スペース。

もしかしたら、廃業してからも管理人がしばらくこの部屋に常駐していたのではと思いました。それにしては荒れすぎているのでしばらく戻ってきてはいなさそうです。


次のテナントへ行きます。次はまた変わった特殊な会社でした。

沢山の洋人形。そう、洋人形の製作、そして人形の衣装を製作していた会社が入っていたのです。

削り出しという作業からこの場所で行われていました。非常に手間が掛けられて完成した人形。しかしそれらは日の目を見ることが無く取り残されていました。

荒廃した室内。



部屋はこれで最後。トイレを覗いてみるとこれまたカオスな光景が・・・・。

ここからビジネスホテルのある上階へと本来なら行くことが出来たのでしょう。残念ながら施錠されており潜入は不可能でした。

怪しげなビジネスホテルの地下空間。そこには沢山の会社が入居し、かつて人々がいた形跡がありました。しかし、それらは一風変わった会社・・・・。暗闇であったこともあり、余計に不気味さを感じずにいられませんでした。


↓いつもクリックありがとうございます。廃墟サイトランキングに参加中。みなさんのクリックで当サイトの順位が決まります↓
にほんブログ村 写真ブログ 廃墟・廃屋写真へ

にほんブログ村


ホテルHS

$
0
0

      ホテルHS

愛知県に存在するホテルの廃墟です。香ばしい廃墟があるとのことで行ってみたのですが、自分が行った際には既にズタボロで、かなり有名な廃ホテルのようです。


入口は上階部分となっている造りですが、正面はこの様相。初めは観光ホテルのような宿泊施設だったのでしょうが、途中からラブホテルに路線変更したのかもしれません。

駐車場の壁の看板。

まずは事務所からお邪魔します。

壁の張り紙。

かつてフロントだった場所。カーテンがされ、末期は使用されていなかったようですね。

まずは最上階の部屋を探索しましょう。こちらは角部屋となる和室の部屋。

景色は良好です。・・・が、ラブホテルとしてはアクセスが最悪な場所にあるということも理解いただけたでしょう。

この物件の名物ともいえる大量の学校用椅子。

床には大量の食器が散乱していました。

なかなかいい造りの部屋で、最後は倉庫となってしまっていたようなのが勿体無い話ですね。

それでは次の部屋へ行きます。

この部屋は洋室となっています。

絶句するほどの荒廃具合。

室内に放置されていた子供用の靴。

天井もほとんど落ちてしまっています。しかしこの荒廃具合、嫌いではありません。

廊下。

廊下のガラスはほとんど割られ、床に散乱しています。

次の部屋へ。ドアはどこへ行ってしまったことやら。

室内は凄い量の遺物が押し込まれていました。足の踏み場に困るほどです。この部屋は和室となっていました。

室内にあった漫画。

ようやく見えたベッドです。ベッドの上も大量の漫画が散乱していました。

それでは次の部屋へ行きます。

この部屋も和室で、床も中々な散らかり具合でした。

ベッド。マットレスはあさっての所に押しやられていますが・・・。

廊下もガラスが全壊していて、部屋もドアが無く外から丸見えなので早々と次の部屋に移動します。

この部屋も和室で、荒廃具合も素晴らしいものでした。

コントのような状態となった照明。

ベッドがあった部屋はとにかく物が多かったです。

さらに次の部屋へ。

物の量はこの部屋が最も凄まじかったですね。

入り口付近でこの有様です。

ベッドは姿すら見えませんが・・・。

これらは外部から持ち込まれたのか、それとも元々あった物がこの部屋に押し込まれたのか・・・・。

次の部屋です。

この部屋はほとんど荒らされておらず、また物も少ない為当時の面影がよく分かります。

ベッドは端へどけられていました。

それにしてもこれでラブホテル、ですか・・・。観光ホテル兼ラブホテルのような営業をしてたのかもしれませんが・・・。

この意匠など結構凝っているように思えますが。

これで3階の部屋は以上です。

次は階下の2階の部屋を探索します・・・と言ってもこの建物、1階はありませんが。

まずは208号室。2階には廊下は無く、各部屋には3階の部屋の横にある各階段を降りて行かなくてはなりません。

部屋内部です。

横たわるベッド。

バスルームはこんな感じでした。

部屋の照明。

それでは次の部屋へ。表札はこの通り、破損していますが207号室です

部屋内部。

ベッド上は荒れていました。特に深い意味はありません。

なるほど、確かに洋室を見てみるとラブホテルらしい内装になっています。ただ、場所がちょっと悪すぎますね。

次は206号室です。

やはり洋室です。3階は洋室、2階は和室となっていたようですね。

床には破損した蒸気機関車の壁飾りが。

どうやら、元々和室だった部屋を洋室に改装されたように感じました。

次は205号室です。

室内です。

照明の割れ具合が素敵ですね。

ベッドです。

さて、次はこちら。203号室と202号室(食堂)です。食堂があるとは驚きでした。

室内です。

落下して破損した時計。

そして、別アングルから。
最後の部屋、食堂です。



元々部屋だったのを改装したようですね。

カウンターがありました。ここが受け渡し口となっていたのですね。

カウンター内部は勿論厨房です。

食器棚がありました。

食堂内に落ちていた電話機。

外へ出ました。外の地面は凄いガラス片の量です。

そして凄い量の学校用机と椅子。一体何に使用していたと言うのでしょうか。

最後に一枚。時間が無く束の間の廃墟探索となりましたが十分に楽しめた物件でした。

↓いつもクリックありがとうございます。廃墟サイトランキングに参加中。みなさんのクリックで当サイトの順位が決まります↓
にほんブログ村 写真ブログ 廃墟・廃屋写真へ

にほんブログ村

ホテル LS

$
0
0

     ラブホテルLS

京都府にあるラブホテルの廃墟です。ホテルの規模も小規模で、部屋の数も少ししかありません。


建物までの道のりはこのような感じ。まあ、この手のラブホテルって、当時はこういう人目につかない所が好まれましたから・・・
このホテルは車で車庫に入り、そこから室内へと入るシステム。しかし、車庫のシャッターはすべて閉ざされています。

ですので、事務所から係員専用通路を伝って室内へ行こうと思います。

というわけでまずは事務所内。

事務所内には比較的綺麗な状態で遺物が残っています。

経営者の仕事場。

それでは部屋へ行きます。部屋へはこの従業員通路から行きます。

まずはこの部屋から。

予想以上に荒廃していて驚きました。

風呂場。

それでは次の部屋へ。


先ほどの部屋とは違い、全く朽ちていないですね。

ベッド。



風呂場。

それでは最後の部屋です。

ベッド。

風呂場です。

それではそろそろ帰ります。小規模な物件でしたが楽しめました。

部屋は4部屋ありましたが、1部屋のみ施錠されていて探索できませんでした。




↓いつもクリックありがとうございます。廃墟サイトランキングに参加中。みなさんのクリックで当サイトの順位が決まります↓
にほんブログ村 写真ブログ 廃墟・廃屋写真へ

にほんブログ村


自然を甘く見ず、危険をきちんと認識しよう!-政府広報: PR

$
0
0
事故を防いで、海、川、山を安全に楽しむために、夏のレジャーでの注意点をご紹介!

閉鎖されたバス会社~事務所・営業所編~

$
0
0

閉鎖されたバス会社~事務所・営業所編~

今回の物件は、会社自体は倒産して消滅しましたが、現在も同名の分社は継続されている物件ですので場所は非公開とさせていただきます。

とは言いつつも外観。規模は写真に納まりきらないほどの規模で、車庫のほかに整備工場、営業所、事務所、給油所、従業員宿舎を構えたかなり広大な物件です。その為今回は数回に分けて掲載を予定しております。


それではまずはこの建物から失礼したいと思います。

入っていきなり交通機関独特の営業所の雰囲気を味わえます。

ソファの代わりにバスの座席を有効活用。

ごちゃごちゃした雰囲気もそのまま残されています。

労働組合の活動が盛んな会社だったようですね。

給湯室。

今ではストライキを起こす交通機関は少なくなりました。それが良いことなのか、悪い事なのかは分かりません。

壁に吊ってあった額はいくらか床へ落下しています。

それでは次の建物へ。こちらは営業所となっていた所です。

いきなり現れたのが浴場。泊りがけで勤務していた社員たちも結構いたのでしょう。

浴場内部です。

それでは営業所内部へ。

いきなり浴場からの探索となりましたが、こういった会社があるのは大抵大通りに面している場所。出来るだけ裏口から潜入をするのがリスク回避に繋がるため仕方がありません。
 
結構ごちゃごちゃしています。
 
スキー板などがあるのが確認できますね。
 
暗くなった室内。
 
もう恐らく、この営業所が再開する事は無いのでしょう。
 
窓口となっていたであろう場所。当時は規模も大きく、歴史も長い会社でした。
 
カウンター内部。大事なものは撤去されているようですが、遺物はかなり残っていますね。
 
当時は鍵などが吊ってあったのでしょうか。
 
敷地内も広く、当時の繁栄具合が分かります。
 
当初はかなり大きな路線持っていたものの、地方の交通機関ということもあって、段々苦しくなって来たのです。

そして路線の縮小化などを行いましたが今に至ります。同社が運行していた路線は現在、別の会社が請け負っています。
 
本来の出入り口はここだったんでしょう。
 
バスの営業所といえば少し古くて薄暗いイメージ。イメージそのままの物件です。
 
専用の木箱。
 
隅っこには像が・・・。

一旦外へ出ます。

次の建物は整備工場などが併設された建物。それらは次の記事にて紹介いたします。

↓いつもクリックありがとうございます。廃墟サイトランキングに参加中。みなさんのクリックで当サイトの順位が決まります↓
にほんブログ村 写真ブログ 廃墟・廃屋写真へ

にほんブログ村


閉鎖されたバス会社~整備工場編~

$
0
0

閉鎖されたバス会社~整備工場編~

前回までは営業所や事務所などを掲載いたしました。

今回は整備工場などのある建物を掲載しようと思います。

 
まずは外階段を上り、会議室へ。
 
内部。
 
末期は使用されていなかったような雰囲気がします。
 
古い机。会議室に使用されていたとは到底思えない椅子。営業所内に置かれていた物でしょうか。
 
木製のテレビ。随分古いものです。机の上に鎮座していました。
 
次の部屋です。こちらはガラスを割って何者かが侵入した形跡が・・・。
 
内部です。この部屋は末期も使用されていたようですね。
 
バスの座席を有効活用。
 
元々は壁に掛かっていたと思われる社訓。
 
流し。
 
それでは一階へ。一階は整備工場内部です。
 
時の止まったカレンダー。
 
ディーゼルは燃料代も安いし環境負荷も低いのですが・・・。
 
室内は結構暗いです。
 
ここにもバスの座席。
 
掲示板。
 
室内はこのような感じです。整備士達の休憩室となっていたのでしょうか。
 
整備士の数もそんなに多くは無かったようです。
 
今では貴重となった古いバスの整備書なども入っていました。
 
次は部品庫。今となってはお宝となってしまった部品もチラホラ。
 
散乱するネジ。
 
バスの型式の書かれた張り紙もバス会社ならでは。
 
バスのウィンカー。新品のままおかれていると思われます。
 
バスのテールランプやウィンカーなどもあります。破損してもすぐに修理して運行に就けるように、部品のストックは充実していたようです。
 
部品庫とあって様々な物が置かれていました。
 
こちらは車内灯。
 
車好きには永遠に居れそうな、素敵な空間でした。
 
それでは自社整備工場内部へ。消火器の数が凄いです。
 
こういう所は徹底した安全管理が求められます。

天窓があり、蛍光灯を使わずとも室内は比較的明るいですね。

散乱する部品。

当時は沢山の車両が入庫していましたが、現在はこの通り閑散としています。

次はこちらの部屋へ。

可燃物に引火してはいけないので、喫煙所も指定されているのです。

内部。

バスの照明カバーが置かれていました。

内部の黒板に書かれていた文字。バスのメーカー別に数字が書かれています。部品の数か何かが書かれていたのでしょうか。

マッサージチェアもありますが、随分古い物ですね。

また工場へ戻ります。

部屋がもう一つありました。

どうやら倉庫だったようで、オイルが積まれていました。

奥へ行くと、自社西部工場とあって様々な設備が残されています。

これはサイドスリップテストなどを行うテスター施設だと思います。

メーター。

ヘッドライトテスターもありました。

車検場並みの施設で、整備は徹底して行われていたようです。

バス会社だけでなく、運送会社も自社整備工場を持ち、車検までやっているところは多いです。委託をするより、自社で整備エンジニアを抱えてやったほうが安上がりなんですね。

工場内の隅には取り外された路線バスの座席が山積みになっていました。

これは路線バスのフロントガラスですね。

他にも、敷地裏にバスのバンパーやらトランクリッドやら。バス停までも大量に廃棄されていました。

設備は古くなってしまっているものの、このような広大な土地ですし、非常に勿体無い様な気がします。

当時はかなりの台数がいたのですが、このまま放置されているというのはちょっと・・・。

次はドライバーなどの宿泊施設を紹介いたします。

↓いつもクリックありがとうございます。廃墟サイトランキングに参加中。みなさんのクリックで当サイトの順位が決まります↓
にほんブログ村 写真ブログ 廃墟・廃屋写真へ

にほんブログ村



閉鎖されたバス会社~給油施設・従業員寮編~

$
0
0

閉鎖されたバス会社~給油施設・従業員寮編~

次に給油施設を探索します。バス会社やタクシー会社で自前の給油施設を所有しているケースは珍しくありません。この会社も、例外ではありませんでした。


まず、敷地内にお邪魔して目に入ったのがこの洗車機。洗車機マニアである友人によると、日本に数台残っているかどうかのかなり貴重なモデルだそうです。

内部の配線など、通常は見れない部分も見る事ができます。

このモデルはビユーテー社製のRYA型「ロイヤルグローワクサー・オークス」。85年に登場したモデルで、姉妹機と合わせて5000台が売れたそうです。

さて、洗車機のウンチクの次はお待ちかねの内部へ。

内部はこんな感じ。

カル○スの自販機。最近見かけないような。

待合室だか事務所だか分からない室内。

ソファもどこと無く場末感。

奥は従業員の休憩室となっていました。

ガソリンスタンドの廃墟は遺品がとても少ない傾向がありますが、物件が物件だけあって遺品も多数。結構楽しめました。

給油機ももっと撮影しておけばよかったですね。

ここは従業員の車の駐車スペースでしょうか。

中にはデモグッズ。

これは大型車用洗車機。こういうのも近くで見る機会は少ないので嬉しい出会いです。

迫力のある大きさ。当時平松鉄工所という名称のメーカーが製造していた製品で、現在は名前が変わって株式会社ヒラマツとなって同様の製品を製造しています。

それでは宿泊施設へ。なかなか凝ったデザインの建物です。

入口。ウェルカムです。

玄関部分。いかにも寮らしい雰囲気です。

当番、食事の申込み者の希望などはこちらに。

廊下はこのような感じです。

ここは厨房ですね。

なんと言いますか、廃墟だから汚いというよりは生活感の汚さが感じられます。

食器棚。

張り紙やカレンダーは雨漏りのせいかしわしわに・・・。

それでは、順番に部屋を探索していきます。部屋の番号がある部屋と無い部屋がありましたので、探索した順に。

まずは板の間の部屋。かなりの広さがありますが、この部屋は残留物はほとんどありません。

唯一残っていた椅子。

次の部屋です。入口はかなり狭いですね。

この部屋は和室となっていました。

浴室です。

次の部屋です。部屋番号は3番でした。

この部屋も和室となっています。

浴室。

次の部屋へ行きます。

この部屋は2つの部屋を1部屋として使用していました。

この部屋はかなり遺物が残っています。最後まで使用されていたんでしょうね。

ポスターも貼ってあり、生活感がかなり残っていました。

部屋に浴室のある部屋もありますが、一方そうでない部屋もあるとの事で小浴室も完備。

ただ、ご覧ととおり、一人使うので精一杯のこじんまりとした物です。

それでは次の部屋へ。部屋も全て統一されているわけではなく、狭い部屋もあるんですね。

次の部屋。12のプレートが付けられています。ネームプレートも付いていました。

内部。先ほどの部屋と内部は変わりません。

上の階へ上がります。

上も寮となっていました。

まずは洗面所です。

そして風呂場。これは一階にあった小浴室と同じ役目をしていたようです。

かなり狭いですが、こちらはタイル張りで豪華に見えますね。

次は部屋を探索します。11号室は鍵が掛かっていました。

次に10号室。蛍光灯の紐を延長させて座っていても消点灯出来るようにしているのが知恵を感じます。エアコンは撤去されていました。

次は9号室です。生活感がありますが・・・。

どうやら、閉鎖後はホームレスの寝床となっていたようです。

次は7号室です。

6号室は鍵が閉まっていたので下の階へ戻ります。

階段の踊り場にあった張り紙。

以上で寮部分の探索は終了です。外へ出ました。

外見は塗り直しやリニューアルをしていたので分かりませんでしたが、改めて見ると結構古い寮だという事が分かります。

最後に全体像。これで長かった「閉鎖されたバス会社」シリーズも終了です。



↓いつもクリックありがとうございます。廃墟サイトランキングに参加中。みなさんのクリックで当サイトの順位が決まります↓
にほんブログ村 写真ブログ 廃墟・廃屋写真へ

にほんブログ村


K石灰株式会社

$
0
0
    K石灰株式会社

京都府に存在する石灰の製造、販売を行っていた工場の廃墟です。採掘までは行っていなかったようですが、中規模の敷地に残存する遺構は探索し甲斐のある物件でした。
看板。

それでは、まずこの建物から探索しようと思います。

事務所のようですね。

それでは内部へ。

コンクリで打ちっぱなしの事務所内部は冷淡な雰囲気に感じられました。

時計。

壁にくっ付いていた筈のシンクが移動しています。

隣の部屋へ。

反対側より。

物入れの内部です。

予定が残ったままの黒板。こういうものは真っ先に落書きされるものですが、山の深い立地の為、そのような被害はほとんど受けなかったようです。

隣の部屋は屋根が朽ちていたため、内部に植物が侵食していました。

綺麗だったのでもう一枚。

奥は倉庫となっていました。

肥料用消石灰紙袋粉20kg500円
在庫の消石灰はほとんど残っていませんでした。

次はこちらの建物へ。

内部です。

床がお洒落ですね。こちらの建物は住居として使用されていたようですね。

隣には台所。

コンロや食器などが見当たりませんので、恐らく移転もしくはきちんと廃業した物件なんでしょう。

風呂場です。

この謎の空間はなんでしょうか。

裏口です。

それでは併設されているこちらの建物へ。

内部は板間となっていましたが、本来なら畳が敷いてあったのではと思います。

中身が出た枕のみが残っていました。

この建物の最後はトイレです。

大便器。

次はこちらのプラントへ。

こういうプラントは移転廃墟でもそのまま残されているケースが大半です。

撮影する方向により雰囲気が変わりますね。

はしごを上ってみました。

コンベアで運ばれてきた石灰はここで詰め込みしていたのでしょうか。

あまり高いところは好きではありません。

地上へ戻ってまいりました。

ブレーカーなど。

隣にも建物があったので行ってみたら崩壊していました。

見事に崩壊していますね。

降り注ぐ雨。

最後はこちらの建物です。

内部。

建物からも分かると思いますが、廃業してから結構な年月が経っていそうです。

横はすぐプラントです。

そろそろ帰ろうと思います。

最後に斜面に登って全体像を撮影。山の中に眠る石灰プラントの廃墟。こういう廃墟も悪くありません。

↓いつもクリックありがとうございます。廃墟サイトランキングに参加中。みなさんのクリックで当サイトの順位が決まります↓

にほんブログ村 写真ブログ 廃墟・廃屋写真へ

にほんブログ村


フィリピンパブBB・バーVV

$
0
0

 フィリピンパブBB・バーVV

愛知県で偶然発見したフィリピンパブの廃墟です。フィリピンパブの廃墟も数件目。珍しいジャンルではあるのですが個人的には多いと感じてしまいます。

就活中に偶然見つけてしまったので、帰りに遠くへ車を止めて、スーツで探索と言う事態になってしまいました。まずは外観。遠くからでも建物が使われていないとすぐに分かりました。


裏に回ると仮眠室のような部屋のある小屋がありました。

住めるようになっていたので住みこみで働いていた方もいたのかもしれません。

床は足の踏み場もないほど物が散乱しています。

内部にあったベッド。

カウンター内部。

なぜか業務用の冷蔵庫がありました。食材はここまで取りに来ていたのでしょうか。

次はパブ内部へ行きます。

外から見えなくてちょうどいいので従業員の通用口より上がります。

パブの内部は非常に暗く、このような感じでほとんどフラッシュを焚かないと撮影できません。

レジカウンターでしょうか。非常に麦藁帽子が気になりますが・・・。

室内に置かれた立派な七福神が哀愁感を漂わせます。

厨房です。

空になった青いビンが綺麗ですね。

従業員の仮眠室の方が立派な冷蔵庫でしたが、重くて2階に上げるのは諦めた、というオチでしょうか。

カレンダー。2005年までは営業していたんですね。

コンロ。

食器はこんなもんでよかったのでしょうか。

そしてシンク。会社の事務所のような厨房でした。

ダンサーによるショーやカラオケなどを楽しむ事ができたのでしょうが、今はただの暗い空間です。

このパブが廃業した頃、アメリカからの指摘もあり興行ビザの運用が厳格化され、発給も減少した事で日本で労働滞在するフィリピン人が激減し多くのフィリピンパブが閉鎖しました。このパブの廃業もそういった歴史的背景が原因となったのでしょう。

嫁氏に「これ逆さまじゃね?」と指摘されるまで全く違和感を感じなかったフィリピン国旗。調べてみると確かに逆さまでした。

なぜ誰も気付かなかったのか?w

ここが本来の玄関でした。

この価格表によると、大体3000円~5000円だったようですね。こういったパブでは良心的な値段だと思いますが、実際どれだけの金額が労働していた女性に渡っていたのでしょうか。

階段には灰皿にテンコ盛りの吸殻。

階段。

次は一階です。

この建物、実は一階にバーのような店舗があり、そこでも飲食物の提供を行っていたようでした。名称はバーVV(仮名)で上の店舗と経営者は同じながら別の店を開いていたのでしょうか。

内部は整頓されているとは言いがたいですね。

カウンターの内部からの写真ですが、物が多くてカオス。

裏に仮眠室兼物置と思われる部屋がありました。

最後に。狭い台所がありましたが従業員が抱負などを壁に書き込んでいました。初めは気合を入れて商売をしていたのでしょうが・・・。

最後に外観。

フィリピンパブと同じく下のバーも廃業してしまっていると言う事で経営者が同じで、下のバーも従業員を同じメンバーでやっていたもののフィリピン人従業員の興行ビザが発給されずほとんどの従業員が帰国してしまい経営が出来なくなったといった所でしょうか。小規模な店舗建物でしたが、ジャンルがジャンルでかつ遺物が満載でしたので楽しめた物件でした。

↓いつもクリックありがとうございます。廃墟サイトランキングに参加中。みなさんのクリックで当サイトの順位が決まります↓

にほんブログ村 写真ブログ 廃墟・廃屋写真へ

にほんブログ村


未成ホテル KPホテル ~前編~

$
0
0

  未成ホテル KPホテル ~前編~

京都府に存在する未成リゾートホテルの廃墟です。随分前より、行きたいと思っていたものの行けていなかった物件であり、「リゾートマンションの廃墟」と噂で聞いておりましたのでホテルだったのか!と驚かされた物件です。

外観上の規模の大きさからお察しいただけたらと思いますが、写真枚数も相当なものとなりましたので、字数制限の関係上記事を分けて掲載しようと思います。

まずは外観から。

 
見ての通り、かなりの高さがあります。
 
立派な建物です。
 
入口。外観はかなり出来上がっており、もう少ししたら完成と言うところまで出来ています。しかしバブルが崩壊し、建設が止まったことにより完成は見送られ現在に至ります。
 
凄い入口ですね。
 
このホテルが完成していれば、現在このホテルがある付近ももっと盛況していたかも知れません。
 
ロビー前は緑の絨毯となっていました。
 
正面から堂々と入るのは抵抗がありましたので横の割れた窓から失礼しようと思います。
 
内部です。
 
これは見応えがありそうですね。
 
一階部分の内装はほとんど完成していませんが、ガラスなどははめられていますので大体の完成の予想はつきますが・・・。
 
鉄製の扉から、機械室などの空間となるはずだったのでしょうか。
 
天井からパイプ類が落ちている箇所もあります。
 
工事に関わる人が喫煙する場所も決められているわけですね。
 
窓ガラスの造形に沿って椅子などが置かれていたら・・などと完成後の姿を妄想してしまいます。
 
若者による落書きも。
 
ホテルのレストランの入口などでこういった扉が見られるような気がします。
 
内装工事の際のゴミが大量に置かれていました。
 
シャッターが下りているところもあります。
 
やっと入口のところまで来れました。この広い空間がロビーとなる予定だったのでしょう。
 
未成エスカレーター。
 
出入口。いい感じのシルエット。
 
出入口付近には物が沢山置かれています。
 
室内には机が数台あり置かれていました。工事の指示をする人などが使用するのでしょうか。
 
締まりかけのシャッター。
 
未成物件の独特の雰囲気。この打ちっぱなしのコンクリートの冷たい雰囲気が好きな方も多いでしょうね。
 
ガラスが曇っており、内部が確認しづらい環境ですので、やはりロビー部分にも落書きがあります。
 
ロビー部分は天井のパイプ類はまだ張られていません。
 
ここはフロントになる予定だったのでしょうね。
 
扉。
 
ガラス張りの空間。いい雰囲気のロビーになる予定だったのでしょう。
 
これだけの広い空間となると、結構高めのホテルになる予定だったのではと思います。
 
それでは2階へ。
 
まだ柵なども設置されていません。
 
天井のパイプ類がカッコいいですね。
 
ブルーシートの下には床材などが置かれています。
 
こういうデザイン、曲線美と言いますか。素敵です。
 
どういう空間になる予定だったのかは分かりませんが・・・。
 
しかし、未成廃墟には「完成していていた姿」を想像させてくれるという一般的な廃墟とは違った魅力があります。
 
ここは大広間となる予定だったようです。しかし、完成することなく、この空間で宴会が開かれることはありませんでした。
 
完成していたらかなり広大な大広間になっていたでしょうね。
 
この空間も広間になる予定だったのかも知れないと思うほど広い空間ですね。小広間かも知れません。
 
廊下です。だいぶ完成の予想がつきますね。
 
建築材が取り付けられている箇所もありますが、このようにまだコンクリートがむき出しの箇所もあります。
 
エレベーター。
 
こういった張り紙は未成廃墟でしか見られませんので新鮮ですね。
 
これにて2階は以上です。
 
次は階段で3階へ。
 
一部はこのように、スプレーで順路が書かれていました。
 
小タイプの部屋。内装がほとんど完成されています。和室となる予定だったようですね。
 
廊下です。

危険な箇所はテープが張られています。

スプレーで書かれた文字「1FへGO」

この階は内装が結構仕上がっているので完成後の姿も大体予想がつきますね。

大タイプの部屋です。

この部屋は料金も高そうです。

このように、ほとんどの入口の前にはその部屋番になる予定だった数字が地面に書かれていました。

316号室は小タイプの部屋でした。

作業はこの豆電球で照らして行っていたのでしょうね。

部屋の扉はまだ取付けが行われていませんでした。

先ほどの大タイプの部屋とは対称の形状の部屋ですね。

壁紙などから、大タイプの部屋は洋室になる予定だったのでしょう。

放送設備の音量調整ツマミなども既に設置されていました。

忘れ去られ、破損した拡声器。

ここは作業員らの喫煙スペースとなっていました。

もう一機のエレベーターホールの前でした。

次の階へ行きます。

階段の踊り場の文字。

4階の廊下です。防火シャッターの奥はエレベーターだったのですね。

エレベーターの前には喫煙所と消火器を示す看板がありますが、消火器はありませんでした。

440号室。

3階と形状は同じでも壁紙の柄が違いこちらはシンプルな白色です。

小タイプの部屋。3階は和室でしたがこちらは板の間で洋室となっていました。

大タイプの部屋です。ドアから部屋への廊下もかなり広い部屋で、一体どんな部屋になったのか想像がつきません。

こうして見るとかなりデカく、全ての部屋は一応全て回ったので実際大変疲れた覚えがあります。

4階の最後に小タイプの部屋です。この階もほとんど内装が終わっていました。

次は5階へ。5階以降は後編にて掲載しようと思います。

 
↓いつもクリックありがとうございます。廃墟サイトランキングに参加中。みなさんのクリックで当サイトの順位が決まります↓

にほんブログ村 写真ブログ 廃墟・廃屋写真へ

にほんブログ村


未成ホテル KPホテル ~後編~

$
0
0

  未成ホテル KPホテル ~後編~

この記事は未成ホテル KPホテル ~前編~の続きとなっております。

それでは階段にて5階へ上がります。


階段の踊り場の窓は開放されていました。

踊り場のこんな所にも5Fと目印がされています。作業員もこれほどの規模の建物となると何階か分からなくなってきそうですからね。

しつこいくらいに5階を主張してきます。

廊下。天井の壁紙すら張られていません。

エレベーターホール。作業員達の喫煙所として使用されているのは他階と同じでした。

大タイプの部屋です。壁紙などもまだ張られておらず、下の階の客室から順に内装を仕上げていっていたのだと分かりますね。

放送設備の音量調節ツマミや照明のスイッチも未完成ですね。

この部屋は537号室となる予定だったようです。

床は既に張り終えていました。

小タイプの部屋で、板の間ですし洋室となる予定だったのでしょうね。天井や壁紙などの処理は途中でした。

他の部屋も床板は張られていたものの壁紙の処理などは未処理で同じような状態でした。

次は6階へ上がります。

廊下です。

まずは大タイプの部屋から。床板を張り終えたばかりのようで頓挫したようで、床板にカバーすら掛けられていませんね。

この部屋は638号室となる予定だったようです。

相変わらず広い廊下の部屋です。

雑念とした廊下。

こちらは小タイプの部屋ですね。

奥の小タイプの部屋はカバーが外れたのか掛ける前だったのかは分かりませんが、床板が見えておりまた違った印象です。いずれの部屋も床板は施工されていますが壁紙などは未処理のままでした。

それでは7階へ上がります。

普段は階段は鉄製扉が閉められあくまでも非常用途だったのかもしれませんね。

この投光器取るな!
・はずすな!
・持って行くな!

廊下です。

廊下に置いてあったGLボンド。これは石膏系接着剤で、水と混ぜて使用します。これを使用すると下地に直接石膏ボードを貼り付けることが出来ます。

よく内装を剥がした後に壁に丸く糊付けしたような跡が等間隔に見られますが、それがこのGLボンドを使用したGL工法による仕上げによるものです。

角部屋の大タイプの部屋です。床板の取り付けも未処理な状態でした。

次は7階です。この部屋は736号室となる部屋となる予定だったようです。

壁は仕上がっていますが、床板などは張られていません。

さらに別の部屋。同じ7階の部屋ですが、接着剤は付けられているものの壁は仕上がっていません。工事の途中で突然建設が放棄されているのがよく分かります。

廊下。

次は8階へ。

この階段の途中より壁が塗られていなくなっています。壁にチョークで印がされていることがお分かりいただけるでしょうか。

廊下です。壁材などはまだ張られず、積まれたままとなっています。

天井板や床材なども張られていません。

部屋内部です。部屋内部にも建材が置かれた状態ですね。

内装の工事会社の名前が張られていました。現在も継続している会社で、業界では有名な企業ですが、健在などは撤去せず、そのまま置いて行っています。持って行けない事情もあったのかもしれません。

この部屋は天井のビニールが劣化して部屋中に飛散していました。

天井のパイプ類がカッコいいですね。こういうかっこ良さを魅せるように、店などで天井板をあえて張らずに、内装を仕上げている店舗も多数ありますよね。

我家の気持ちで綺麗な現場

未完成ならではの見所が沢山ある物件であると思います。

床に転がるペットボトル。

莫大な金額が掛かりそうですが、頑張ればリニューアルできそうな物件ですね。
次の階です。

壁には9Fと印がされていました。

廊下です。

エレベーター。

部屋はこのような感じです。

この部屋は921号室のようですね。

内部です。

部屋に大量に置かれているのはバスルームでした。

バスルームの内部です。

他に、トイレも置かれていました。

内装が出来上がっている部屋に比べ、未完成だからこそある良さが映えているような気がしますね。

この階の最後は廊下で。

それでは次の階へ行きます。最上階へと近づいてまいりました。

やはり、この階も10Fと印が付けられていました。

床はまだ処理が完全ではなく、ボコボコのままなのがお分かりいただけるでしょうか。

廊下です。

大タイプの部屋。

その他の部屋です。

下階までは何号室になるのかと言う数字が書かれていましたが、この階より無くなっていました。コンクリートを平らに施工してから部屋番号の数字を床に書いていたと言う事が分かりますね。

どの部屋にも何かしら建材が置かれていました。

様々な会社の手によって完成を目指し、作業が行われていたはずなんですがねぇ。

それでは11階へ。

作りかけの姿でどうなる予定だったか想像が付きにくいですね。

廊下です。

部屋はかなりの量の建材がありました。

廊下のコンクリートには作業員の物と思われる足跡がそのまま固まって残っていました。

他の部屋です。

次は最上階です。階で言えば12階となります。

廊下です。

最上階の部屋は更に多く詰め込まれた建材が・・・。

それもそのはず、他の部屋は天井のパイプ類もまだ未設置のままとなっていました。

コンクリートに差し込む光。

突然広い空間が現れました。

これは大タイプの部屋ですね。

エレベーター。

窓際に廊下がありました。

組み立て途中のパイプ類がそのままとなっています。

これも建材の一部でしょうか。

もう一機のエレベーターです。

さらに上へ伸びる階段がありました。

かなり暗い空間で、客室などではない事は確かでしょう。

どうやら、階段の上は電源室となる予定だったようですね。

まだ機材などは搬入されていないようです。

このブロックは何でしょうか。

更に階段があります。はやりかなり暗いですね。

謎の空間があります。パイプ類が数本ありますが、ボイラー室でしょうか。



屋上に出ました。

かなり高いので下を覗かないようにしていました。

大変でしたが、戻らぬわけには行きませんので地上へ降りてきました。

完成していたらここは車が通っていたのかもしれませんね。

ガワは完成したものの中は未完成のまま建設が放棄されてしまったリゾートホテル。その高さだけが虚しく儚く散った良き時代の象徴となって残されています。


 ↓いつもクリックありがとうございます。廃墟サイトランキングに参加中。みなさんのクリックで当サイトの順位が決まります↓

にほんブログ村 写真ブログ 廃墟・廃屋写真へ

にほんブログ村


ホテルYIP2

$
0
0

      ホテルYIP2

長野県で見つけた小さな木造ホテルの廃墟です。1階はお土産店とレストランとなっており、いくらか宿泊出来る部屋がありましたが、崩壊が凄く探索できなかった部分も多い物件となってしまいました。


雪が多い地域なので1階部分は積雪で埋まってしまいそうにも思うのですが、除雪などがしっかり行われる場所なのでしょうか。

上階は見上げるだけでもこの有様。

いつ頃から廃業してしまっているかは不明ですが、10年ほど前はやっていたようにも思います。

まずは1階部分。こちらはお土産コーナーだったようです。ホテルとは別の屋号で営業していました。

ほとんど当時の面影は残っていませんね。

こちらはレストランです。こちらも別の屋号で営業が行われていました。こちらは当時のまま残っています。

看板。居酒屋として夜も営業していたのでしょうか。

それでは上へ上がり客室へ。本来なら壁があったんでしょうか・・・。

廊下。

廊下の床も朽ち果てています。

ストーブ。

部屋内部はだいぶ荒廃していました。

本来はここが入口だったのでしょうか・・・。

階段を登り、3階が部屋となっている部分もあります。で、いきなり置物がお出迎えしてくれました。

しかし、部屋ではなく屋根裏の倉庫といった様相です。

ただ、3階が部屋となっている部分もありました。派手な壁紙ですねぇ・・・。

さらに、トイレの内装も派手でした。

このホテル、実は近隣の大きなホテルがプロデュースした若者向けの別館的な存在だったようです。しかし、そのプロデュースしたホテルもコロコロ名前が変わっていましたので、その度に所有者も変わっていたのではないでしょうか。

そのホテルは近隣にあったホテルも買収し、大きくなりましたがこちらの建物は忘れられてしまったようです。内装もバブルの頃に改装されたのではないでしょうか。

もう少し早く来てれば他の部屋も見れたのかもしれませんが、崩壊が進んでいたので見ることが出来ない部屋も3つほどありました。ただ、思いがけない発見でしたのでそれなりに楽しむ事ができた物件でした。



 ↓いつもクリックありがとうございます。廃墟サイトランキングに参加中。みなさんのクリックで当サイトの順位が決まります↓

にほんブログ村 写真ブログ 廃墟・廃屋写真へ

にほんブログ村


ラブホテルSN

$
0
0

     ラブホテルSN

長野県にある有名なラブホテルの廃墟。ホテル自体は普通のラブホテルの廃墟なのですが、このホテルは「とある落書き」で有名なホテルです。自身もラブホテルの廃墟は好きで、さらにその有名な落書きも一見してみたいと思い、これを目当てで長野まで遠征したようなものでした。
 


それでは建物内へ。

ホテルの様式は車で部屋の下までやってきて階段を登り部屋へ。そして部屋を出るときにコールをして支払いを済ませると言った様式です。

・・・ということで車庫からだと階段を登ったり降りたり面倒ですので、従業員専用の廊下から客室を探索しようと思います。

客室の料金支払い口。

まずはこの部屋から。

ベッドです。

まず発見出来た有名な妊婦画。初っ端からベッドにまで描かれていた事に驚きです。

ボロボロに破壊された壁。

壁の向こう側は風呂場でした。

部屋自体は少し古めのラブホテルと言った様相です。ただ、良い時代に作られたようで豪華ですね。

車庫から部屋へ登ってくる階段です。

それでは次の部屋へ。

ここでは壁に描かれていました。

部屋内部。

ベッドです。

大きな木材が乗っていますね。

こういう照明も古臭くて素敵です。

風呂場です。

車庫からの階段です。

廊下にあった妊婦画です。

次の部屋へ。
 
部屋内部。赤内装が派手です。
 
ベッド。
 
細かいところも凝っていますね。
 
鏡。
 
風呂場です。
 
ガレージからの階段。
 
さて、隣の部屋へ。
 
祝う。わざわざルビを振って間違えているし、明らかに後から書かれたチープな妊婦画が面白いですね。
 
部屋内部。
 
ベッドです。
 
これは販売機ですね。
 
この部屋の鏡は粉々になっていました。
 
壁にあった妊婦画。
 
風呂場です。
 
ガレージからの階段。

適当に書かれているのにブラジル国旗と分かる不思議・・・。
 
廊下の非常ベル。
 
次の部屋へ行きます。
 
クオリティの低い妊婦画が出迎えてくれました。
 
部屋内部です。
 
ベッド。
 
床に落ちていたテレビ。デザインが時代を感じさせますね。
 
部屋の照明。凝っていますねぇ・・・。
 
今のラブホとは違い、ハリボテではなく飾りが本当に凝っています。
 
今ではこういう装飾品は大量生産できますが、当時は材質もしっかりとしていてコストが掛かっているように思いますね。
 
部屋へ行く階段です。
 
廊下。緑の光が差し込みます。
 
この窓から差し込む緑の光が無機質な空間に彩を加えていますね。
 
それでは次の部屋へ。
 
ええとこれも妊婦画の一種でしょうか。
 
 くりちゃん
 
ベッドです。
 
ベッドの上には蛍光灯が。
 
風呂場です。

見るところが妊婦画くらいかなと思っていたのですが、全部屋が異なる仕様で非常に楽しかったです。
 
コマネチ・・・ではなくて部屋へ続く階段です。
 
廊下にあった妊婦画。勝手に名前を変えるな!笑
 
次の部屋です。
 
部屋内部。

壁紙が凄いですが、結構古いラブホで見かける壁紙だったりします・・・。
 
ベッド。
 
照明がいいですね。
 
風呂場です。
 
部屋へ続く階段です。
 
廊下です(悲鳴の効果音付き)
 
壁には妊婦画がありました。
 
部屋内部です。部屋もこれで最後の客室となりました。
 
ベッドです。
 
和風の装飾品。
 
照明も和風テイストですね。
 
金ピカでバブリーな扉にも妊婦画がかかれていました。ここまでとなると見落としているのもあるかもしれないと感じてきますねぇ・・・。
 
風呂場。
 
部屋へと続く階段です。
 
そして廊下へ。奥にも部屋があるようですね。
 
懐かしいジャンプがありました。今は激しいラブコメを描いている矢吹さんも、当時はこういう作品を連載されておられました。
 
これは・・・。ジワジワ来ますわ・・・笑
 
妊婦画もありました。描いた方は奥まで来られていますが凄い執念だと思います。ここは廃墟、怖くはなかったのでしょうか。
 
奥は倉庫となっていました。
 
別のアングルより。
 
内部にはコロナのカタログが。小さい頃、近所の人が乗っていたなあ。
 
全て探索したので階段を降ります。
 
これで最後だと思いきや、ガレージのある1階部分に一つ部屋がありました。従業員用として増築されたのか、異様に崩壊が激しかったです。
 
カオスな室内。
 
ベッドです。元々客室にあったものでしょう。

壁の中からかつてのガレージの壁が・・・。

調理道具もあり、住み込みで働いていたのかもしれません。

足元は悪く、物が非常に多かったです。

建物を出ました。

妊婦画見たさに訪れた物件でしたが、最近はあまり取り上げられる事もなく静寂を取り戻した雰囲気でしょうか。


↓いつもクリックありがとうございます。廃墟サイトランキングに参加中。みなさんのクリックで当サイトの順位が決まります↓

にほんブログ村 写真ブログ 廃墟・廃屋写真へ

にほんブログ村



KU荘

$
0
0

        KU荘

奈良県にあった温泉旅館の廃墟です。新棟と旧棟が存在し、新棟はきっちりと管理をされておりましたので旧棟の方の探索です。


入口です。状態からしてこれは新棟営業時に既に壊せず、廃墟化していたようです。

玄関を入った瞬間この有様でした。

ロビーです。

フロント。

フロントには当時の遺品が沢山残されておりました。

こういった物も・・・

荒らされたというわけではなく、朽ち果てて荒廃しているといった様相です。

事務所内部は暗く、さらに床が探索には心細い状態であった為この写真のみです。

ロビーに転がっていたチェリーコーラ。

昔はこういったホテルにこういったテーブルゲームがあったものでした。

それでは調理室へ。

そこそこ大きい物件ですので、調理室の大きさも結構あります。

別アングルより。

調理室の横は流しの付いた廊下となっており、食器が沢山積まれていました。光が差し込んでいる部屋は大広間です。、

沢山の食器があり、当時はかなり繁盛していたのでしょうね。

流しの上から床の上まで、大量に置かれた食器。

備品は愚か、ビール瓶までそのままとなっておりました。

広間は特に崩壊が激しいですね。

しかし人為的破壊はほとんど見られず、ほぼ自然崩壊です。

畳の上で腐っているのは大半が布団でした。

階段があります。上階は客室となっております。

階段回りは休憩スペースとなっていました。ソファーがあります。

怪しい絵画もありました。

他にもソファーがありました。

テレビの型からして、この旅館は相当古そうです。

奥まで行っておらず、階段を登って休憩スペースを覗き込むと、鹿の剥製があって驚きました。

それでは、二階の廊下です。

共同トイレ。床がコケでエライ事になっていました。

それでは客室へ。まずはぶなという名前の部屋です。

・・・が、いきなり床が朽ちて落ちていました。

室内。

天井には怪しい紙が。

室内に置いてあったソファー。元々は窓際に置かれていたのではないでしょうか。

窓からは木々が見えており、良い雰囲気です。

次の部屋はかえでと言う名前でした。

窓際が結構朽ちています。写真を掲載しておりませんが、事務室に1993年4月のカレンダーが残されており、それより営業されていないようなのでそれでも朽ち方はマシな方ではないかと思います。

次の部屋はしらかば。ぶなと同じように入口の床が落ちています。

部屋内部。

次の部屋はいちょうと名付けられていました。

浮かび上がる部屋の様相。

つつじと言う部屋です。仲良くソファーが転覆していますね。

つげという名前の部屋です。

あせびと言う名前の部屋。あせびはつつじ科の低木なんですが、個人的に咲く花はあまり綺麗な花ではないように思います。

もみぢと言う名前の部屋です。もみじではありません。この部屋はソファーがありませんでした。

かしという名前の部屋。残念ながら鍵が掛かっていて内部は見れませんでした。このように全ての部屋のネームプレートは手書きでマジックで書かれていました。

廊下。

それでは次の階へ。

3階です。

つばきという部屋。残念ながらこの部屋は鍵が掛かっていました。

きりという名前の部屋です。この階は2階ほど朽ちていませんね。

この階にも廊下に休憩スペースがあったようです。

食器用エレベーターがあります。広間を使用しない宿泊客には部屋で食事を取るということで設置されたんでしょうね。

それでは次の部屋を探索します。

もみと言う名の部屋。

次はひのきという部屋です。

次の部屋はルームプレートが外れてしまっていました。

部屋内部。

こちらは、さくらという部屋です。

次の部屋もルームプレートが外れてしまっていましたが、床に落ちていました。どうやら「まつ」という名前だったようですね。

室内です。畳が何枚か上げられていますね。

部屋は、この部屋で最後となります。名前はうめでした。

もう一つ部屋が存在しましたが、そちらは倉庫でした。

最後に、3階の廊下です。

次はこちらの建物へ。

廊下部分は老朽化が激しいですが、この建物は浴場があります。

脱衣所。

浴場内部。石造りでしっかりとした造りですね。

シャワー。浴場内部はそんなに広くは無く、数人で一杯になりそうです。

隣の浴場。男性用、女性用と分かれていたのかもしれませんが、分かりませんでした。

シャワーです。

当時は心地よい温泉が出ていたのでしょうが、今はこの状態。少し寂しいものがありますね。

他にも建物がいくつか存在しましたが、通電していたりしましたので諦めました。

規模もそこそこあったので、結構楽しめた物件でした。

↓いつもクリックありがとうございます。廃墟サイトランキングに参加中。みなさんのクリックで当サイトの順位が決まります↓

にほんブログ村 写真ブログ 廃墟・廃屋写真へ

にほんブログ村


Hスイミングクラブ

$
0
0

    Hスイミングクラブ

栃木県にあるスイミングスクールの廃墟です。廃業してから結構経つようで、どちらかと言うと自然的な劣化で朽ちている物件でした。



住宅街のど真ん中に位置するので、若者がたむろして破壊活動がしにくいと言う事もあるかもしれません。バリケードがされていますが、数箇所潜入できる場所がありましたのでそこから失礼させていただきました。

かつての入口には厨房機器などが置かれています。このスイミングスクールに置かれていたとは思えませんので、侵入を防ぐバリケード代わりに過去に置かれた物ではないでしょうか。

入口の日水連の公認スクール証は89年までとなっていましたので、長くても89年までは開校していたものと思われます。

このスイミングスクールは、元々は病院から始まり、その後景気が良い時に教習所や幼稚園、公共交通機関など様々な事業に手を出し多角経営していっていた財閥グループの一スクールでした。しかし、バブル崩壊寸前となり経営難でこのようになってしまったのではないかと推察します。

入ったらフロントがあるのですが、物が大量に置かれています。

フロント内部からの景色。

フロントの机の上は結構散らかっていました。

机の上にあった薬品と判子。薬品は残留塩素検査薬ですね。

フロント内部は事務所も兼ねていたようです。

給湯室かとも思いましたが、スタッフの部屋でしょうか。

クローゼットがありました。

事務所内の止まった時計。

この物件の見所はやはりこのプールです。カラフルな内装で、当時子供達が水泳キャップを被って泳いでいた姿が簡単に想像できますね。

これはフィンという道具で、足に取り付ける道具です。

筋肉への刺激やバランスの取れたキックを身に付ける為の道具なんですが、これを外した後泳ぐと全然水を蹴れている気がしないんですよねぇ。このような道具で手に付ける物はパドルと言います。

プールも浅く、飛び込み台も設置されていないところを見ると、水泳選手の養成などは行っていない幼児の水泳技術の習得をメインに教えていたスイミングスクールだったのではないかと思います。

かつて水が張られていたプールには枯葉が積もり、もう水が張られることもないでしょう。

幼児用プールもあります。まだ泳法を習得していない幼児も入校できたようですね。

青いベンチの横にある台はフロアーと呼ばれる台。これをプールに沈めるとプールの水深が浅くなり、泳ぎが苦手な子供が溺れてしまう事故を防ぐ事にも貢献します。

別のアングルから。

割れた窓から見える緑が美しいですね。

目を洗浄する台。子供用に低くなっています。

上階にあるのは観覧室かと思っていたのですが違いました。詳細は後ほど。

錆び付いて止まった時計・・・と言いたいところですが、古いプールではこんな状態でも時を刻んでいる時計があったりすることも。

ガラスの扉があり、張り紙がされていました。

内部は筋トレルームとなっていました。確かにこれでは濡れた体で使用されると錆びてしまいます。

元々倉庫だった場所を無理やりこのようにした様子ですが、最近では別に筋トレルームを設置しているところが大半ですね。

プールサイドに転がっていたコースロープ。

倒れているのはペースクロック。スイミングクラブでは欠かせない物です。

アナログの物でも耐久性のいいものを探すと最低でも5万円以上します。セイコーの良い物を使用しているところは15万円はしますので、それだけ予算が潤っている水泳教室ということですね。

幼児用プールがある側に保護者の観覧室がありました。

内部です。

扇風機が横たわっていました。

この椅子は観覧室用でしょうか。大抵ソファーなどが置かれているものですが・・・。

書籍類が散乱していました。しかし、大半が紐で束ねられており、廃業はきちんと行われたものと思われます。

・・・まさかこうして今まで残っていると当時のスタッフも思ってはいなかったでしょうが。

洗面台。

掃除機も随分古いものですね。

プールサイドへ戻ってきました。

照明。

それではこちらのドアの先へ。


暗いですが、腰洗い槽・消毒槽と呼ばれるものが設置されています。プールより高濃度の塩素水に浸かることで体を消毒していたのですが、子供達の皮膚疾患の原因となるので廃止された代物です。


古いプールでは残っているかもしれませんが現在では見かける機会は少ないですね。

更に奥にも扉があります。

奥にはトイレ、さらにサウナがありました。

消毒槽の横には部屋があり、その部屋はフロントの後ろへと繋がっています。スタッフの更衣室か控え室となっていたのかもしれませんが、ただの空間となっていたので何の部屋化は分かりません。

唯一残されていたのはこの椅子のみ。

別のアングルから。

次はこの階段より2階へ上がります。

あったのはロッカールームでした。

不思議とロッカーの蓋だけありません。

床に落ちていたクーラー。

手書きのプレートがいいですね。

元々はこういうカラフルな蓋が付いていたのでしょうね。

このロッカールームには倉庫が設置されていました。

内部はプールで使う道具が置かれていました。これらを1階のプールに運ぶのは一苦労だったと思いますが・・・。

もう一つロッカールームがありました。

こちらには大きい窓が設置されていますね。

窓から見えるのはプールでした。美しいですね。

こちらのロッカールームはとても薄暗かったです。プールから丸見えですのでこちらは女子用では無いでしょうね。

ロッカールームを出ると広い空間があります。

こちらは休憩スペースでしょうか。

自然崩壊。

階段です。学びに来た生徒はここからロッカールームに行き、先ほどの鉄製の階段を下りてプールへ行っていました。

丸い窓がお洒落ですが、暗いですね。

外へ出ました。

個人的に昔水泳を習っていた事もあって何だか懐かしい気持ちで探索する事が出来ました。

ジャンルとしてもプールはあってもスイミングスクールの廃墟は初となったので面白かったですね。


↓いつもクリックありがとうございます。廃墟サイトランキングに参加中。みなさんのクリックで当サイトの順位が決まります↓

にほんブログ村 写真ブログ 廃墟・廃屋写真へ

にほんブログ村


ホテルFT

$
0
0

       ホテルFT

茨城県にあるモーテルタイプのラブホテルの廃墟です。部屋は5部屋ほどの小規模のラブホテルで、調べてみるところによると以前は敷地内の住宅に経営者が居住していたものの、2012年頃には誰もいなくなってしまったようです。ただ、敷地へ通じる道は草など刈られた形跡があり、不定期に管理者が巡回をしているものと思われます。今回は入れる場所が限られましたので記事は短めです。


敷地へはこのような細い道を通って行かなければならず、個人経営の昭和の連れ込み宿のような古い形式のラブホテルであったのではないでしょうか。

こちらが経営者の住宅。開いているのではと2周ほど周りましたが、きっちりと管理されており、内部の確認は出来ませんでした。

それでは客室へ。

客室は一部屋のみ鍵が開いておりました。

内部はかなり綺麗な状態ですね。

浴室です。

敷地内にはセドリックの廃車体がありました。経営者のものでしょうか。何気に特別仕様車なんですが・・・・(滝汗)

今回の探索物件は以上です。

↓いつもクリックありがとうございます。廃墟サイトランキングに参加中。みなさんのクリックで当サイトの順位が決まります↓

にほんブログ村 写真ブログ 廃墟・廃屋写真へ

にほんブログ村


OO分校

$
0
0

       OO分校

70年ものの歴史がありながら、存在する村の人口の減少により惜しくも73年に閉鎖された小学校が山の中にありました。現在も管理がされているとの事ですが、老朽化が進み、手入れされているとは到底思えません。廃校はあまり探索をしておりませんが、この物件はスリリングで楽しめた物件です。この学校の休校年月は自分の知る限りでは最も長いものですが、存在する集落や放置されている校舎の状態から察すると再開の見込みはほぼ無いものと思われます。


こちらが校舎。しかし、この建物は後ほど。

まずはこちらの講堂です。閉鎖されてからだいぶ経過しており、建物も結構老朽化していました。

窓もほとんどが割れており、他の建物と違って窓もふさがれていません。

講堂内部です。

床は結構ヤバそうでしたので内部までは足を踏み込んでいません。

ステージです。

上には講演台などもそのまま残されていました。天井で飛び交っているのはコウモリです。

体育館としても兼用されていたのかもしれませんね。

木造で造りがいいですね。

この建物は以上です。

校庭にあった百葉箱は植物に覆われています。

このグラウンドもかつてはこのように植物で覆われていないグラウンドでしたが、今では植物が伸び放題となっていました。

次は校舎へ。

途中にあった花壇。昔はこのように空きびんを使った花壇が結構あったような気がします。

そのすぐ横には記念碑。記念に藤棚を植えたとありますね。

こちらが入口です。学校名が書かれたプレートはすっかり文字が消えてしまっています。

郵便受。

足元には獣の骨が落ちていました。

地面に横たわるスピーカー。

校舎の窓はこのようにトタンで塞がれ、鉄壁のように見えます。しかし場所によっては扉が外れていたりしましたのでそこから内部へ。

まずは玄関へ。

内部は窓と言う窓がトタンで塞がれている為、かなり蔵ですが、そのせいか内部は比較的綺麗な状態でした。

上には表彰状が飾られていました。

沢山あります。

更にその上(天井)には大量のコウモリ。

で、その下(床)には50年物のコウモリの糞塚が出来上がっていました。写真を見るだけで病気になりそうですが、実際にも空気はかなり悪いものでした。

廊下です。

それではまず一番初めの教室。小学校の中でも低学年の教室でしょうか。黒板が低い位置に設置されています。

次は2番目の教室です。

先ほどの教室より黒板は高めに設置されていますね。

それでは最後の教室。この教室が最も広い教室でした。

黒板の上に貼られていた紙。「おとうさんのこどものころ」とありますが、私にとっては「おとうさんのおとうさんの子供の頃」くらいじゃないですかね・・・。

紙のもう半分は剥がれて床に落ちていました。

道路標識のポスター。当時は今よりももっと自動車は少なかったでしょうね。

これらの机や椅子は下手すりゃもう6、70年前とかのものではないでしょうか。

オール木製の小さな机と椅子。

休校となる10年ほど前までは30人ほどの生徒がいたことが分かっています。

自然に崩壊した棚。

当時のまま残された新聞。貴重な遺物です。

休校年より4年前に当時の子供達によって書かれた寄せ書き。こういうのが残っているとなんともいえない気持ちになりますね。

この教室は前後に黒板がある教室でした。

廊下へ出ました。

廊下にあった黒板です。案外訪問者がいるようですね。

黒板の上には絵画が飾られていました。

ハイ!せっけんで手を洗おうのこのステッカーは当時、前川陽子の歌っていた「ハイ!石けんで手を洗おう」からでしょうか。この曲は手洗い運動推進本部から保健所経由で幼稚園や小学校などに配布されたと思われており、曲も学校でよくかかっていたようです。

手洗い場にはしつこいくらいの手を洗おうステッカーが貼られています。

給食室がありましたが扉が固着していた為進めず。カメラをねじ込んで撮影しました。

建物を出ました。この木造部分が給食室です。

内部は素晴らしい空間でした。

こちらの建物は教員住宅と思われます。この建物はトタンなどで窓なども塞がれていませんね。

きっちりと全てに鍵がかかっておりましたので窓ガラス越しに内部を撮影しました。この建物内部の空間もレトロですばらしそうです。

校庭へ戻ってきました。

ジャングルジムの中から木が生えてきてしまっています。凄い光景ですね。

ひっそりと朽ち果てる廃校。とても楽しめましたがリッターカーでも行くのに難儀する場所でしたので、夏の訪問で本当に良かったです。


↓いつもクリックありがとうございます。廃墟サイトランキングに参加中。みなさんのクリックで当サイトの順位が決まります↓

にほんブログ村 写真ブログ 廃墟・廃屋写真へ

にほんブログ村


出光の廃LPGS

$
0
0
    出光の廃LPGS

京都府北部で見つけた給油所の廃墟です。給油所の廃墟はあまりにも小規模なのでスルーしがちなのですが、この物件は不思議と足が止まりました。ほとんど荒らされず転用もされておらず、ほぼ当時のままの姿であったからかもしれません。

こじんまりとした事務所。

入口はウェルカムでした。

外観からもっと古く感じたのですが、95年までは営業していたようです。

さらにこの給油所、普通のガソリンスタンドかと思っていたらLPガススタンドでした。これは珍しいですね。かつては地元のタクシー会社などが使っていたのでしょうか。

室内はあまり広くはありませんが、椅子まで残っていたのには驚きました。

内装の塗り分けからしても建物自体はやはり結構古いもののようです。

シンク。

壁に貼ってあった掲示物。

同上。

棚などを見てもきちんと片付けられていることから、廃業はきちんと行われたのでしょう。

それでは建物を出ます。

こじんまりとした給油所でした。見ての通り土台は残っているもののガスの供給機器類は全て撤去されていました。

 ↓いつもクリックありがとうございます。廃墟サイトランキングに参加中。みなさんのクリックで当サイトの順位が決まります↓

にほんブログ村 写真ブログ 廃墟・廃屋写真へ

にほんブログ村


Viewing all 99 articles
Browse latest View live